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  1. 私家版「ワールドカップの歴史」(ただしラグビーの)

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スタッフブログ 2022.12.21
私家版「ワールドカップの歴史」(ただしラグビーの)

 サッカーW杯カタール大会では、日本代表がドイツ、スペインといった強豪を破った。乾坤一擲の勝負で強国に勝ち切った構図は、桶狭間の戦いみたいで痛快である。歴史的勝利だと日本国中が沸いたが、これからお話しするのはラグビーW杯の歴史(オールドファンの思い出)である。

 

 今から27年前の1995年、第3回ラグビーW杯が開催され、日本代表は予選リーグで「世界最強」オールブラックス(ニュージーランド代表)と同じ組になった。両チームの対戦は予選リーグの最終戦。既にオールブラックスは連勝で決勝トーナメント進出が確定、日本代表は連敗で敗退が決定しており、消化試合と言ってよかった。
 ここでオールブラックスは、主力メンバーを温存し、控えメンバーで対戦に臨んだ。日本代表は舐められたわけだから、「見ていろ!一泡吹かせてやる」と意気込むのも無理はない。

 

 しかしながら、試合が始まってみると、黒いジャージが縦横無尽に走り回り、見る見るうちに点差が開いた。当時テレビ観戦していた私も、応援どころか最後まで見続けるのがつらくなるほどの惨劇である。後半に入っても、奇跡は起きず、神風も吹かなかった。結果、145対17という記録的スコアでの敗戦。この結果はW杯の歴史の中で、最多失点、最多得失点差、最多被トライ数等々、ありとあらゆる不名誉な記録が残り、長期間破られることがなかった。
 いくら何でも、という感じの負けっぷりに、帰国した日本代表に対する風当たりは強かった。そしてここから先20年もの間、日本はW杯では1勝もできなかったのである。当時はこの言葉は無かったが、こう表現するしかない。「黒歴史」と。

 

 一方オールブラックスもこの大会で優勝は叶わなかった。決勝で南アフリカ代表に敗れたのである。1995年まで人種差別政策のせいで国際試合から仲間外れにされていたため、「無冠の帝王」扱いされていたが、この大会で初めてW杯に参加し優勝を果たしたのである。

 

 20年後の2015年のW杯、日本代表初戦の相手はその南アフリカ代表である。私と同い歳のオールド・ラグビーファンはこう予想した。「(南アフリカ代表が)集団食中毒にでもならない限り、日本の勝ちはあらへんやろ」。・・・つまり可能性はひたすらゼロに等しい。
 結果はご存じのとおり「歴史的」大金星で日本が勝利。しかも試合終了直前の逆転トライという、劇的な幕切れ。くだんの食中毒氏から私に感激のメールが届いた。「自分が生きてる間にこんなの見られるとは思わんかった」。

 

 2019年のW杯日本大会は戦績も大会運営も大成功だったが、次のW杯は2023年、そう、来年である。今年の10月29日に行われたオールブラックスと日本代表の試合は38対31。負けはしたものの、ずいぶんと差が縮まった。私も食中毒氏も来年を楽しみにしている。

 

 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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