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スタッフブログ 2025.06.04
国境を超える
いつも結城病院スタッフブログをお読みいただき、ありがとうございます。
学生時代友人と二人でヨーロッパに行った。
今でも売っているがユーレイルパスというヨーロッパ(当時のEC諸国)ならどこでも乗ることができるという切符を買った。西ドイツのボンまで行ったときにポーランドまで一晩の距離であることを知った。ショパンの生まれた国である。初めての共産圏であるが、行ってみることにした。
まずドイツ国内でポーランド大使館を探すのに苦労した。今ならネットですぐ調べられるしあるいは地球の歩き方もある。ドイツの人は押しなべて親切だが、英語を話せる人はあまり多くなかったようで早口のドイツ語で一生懸命に説明をしていただいた。説明してもらったことの10分の1も理解できなかった気がするが、何とかたどり着いた。ビザを申請、翌日には受け取ることができた。西ドイツ国境からワルシャワまでの切符も購入、食料も買い求めて汽車に乗った。西ドイツの国境駅に到着、パスポートのチェックに来たのは赤いとっくりのセーターを着たお兄ちゃん一人だった。コンパートメントのドアを勢いよくあけて「Guten Tag(こんにちわ)」。パスポートを半分ほど出しかけたところで「Danke Schoen(ありがとう)」と言って行ってしまった。
しばらくして汽車は動き出したが、すぐに東ドイツの国境駅に着く。ドアが開いたと思ったら制服三人組が入ってきた。一人は書類を書くために大きな板を首からぶら下げている。もう一人は上官だろう、手ぶらである。あとの一人は軽機関銃をもっており、銃口をこちらに向けて早口のドイツ語でまくしたてる。パスポートを見せたがまだ早口のドイツ語で盛んにしゃべっている。まったく言っていることが分からなくて困ったと思っていたら、同じコンパートメントの人が通行税5マルクを払えと言っているのよと教えてくれた。ただそこは東ドイツなので本来東ドイツマルクで払わなければならないのに、まだ国境を越えたばかりで東ドイツマルクなど持ち合わせてはない。西ドイツマルクならあると言ったら、それでもよろしいということになり、機関銃から解放された。後々考えると同じドイツマルクといっても西ドイツマルクのほうが圧倒的に価値が高く、あの係官は差額をポケットにしまい込んだのだろう。
ベルリン経由でポーランド国境までたどり着いた。ポーランドの係官は大柄なお姉さん一人でねじ回しを一本持っての登場。コンパートメントに入るなり全員立たされた。 椅子のクッションを蹴り上げて何も入っていないことを確認、その次はねじ回しで天井の板を外し、首を突っ込んで見回している。要は西側の国からの密輸をしていないことを確かめていたようだ。汽車が動き始めてしばらくしてから今度は車掌が入ってきた。 切符かなと思っていたらなんと「Change money(ドルを売ってくれ)!」。共産主義の貧しさを実感させられた。
最後までお読みいただきありがとうございました。